ゆるっと観劇録

ひたすらに観たものの感想メモ

【舞台感想】パラドックス定数 第46項『プライベート・ジョーク』

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※この記事にはネタバレが含まれます。

 

◯公演情報(公式HP)

パラドックス定数 第46項『プライベート・ジョーク』

公演期間
2020年12月4日(金)~13日(日)

作・演出
野木萌葱

出演
植村宏司 西原誠吾 井内勇希 加藤敦 小野ゆたか

会場
東京芸術劇場シアターイース

天才がいる。
狂人がいる。
だからこの世は、面白い。
二十世紀初頭の古き佳き時代。
自由を掲げる学生寮
未来の芸術家たちが暮らしていた。
豊かに無意味に馬鹿騒ぎ。
若さ故に才能を持て余しながらも
破天荒な共同生活は続いてゆく。
ある日、学生寮主催の講演会が開かれる。
彼らの前に二人の男が現れた。
この出会いが奇跡でも悪夢でも
魂の饗宴は止まらない。
プライベート・ジョーク。
身内の戯れに過ぎないのだけれど。

 

◯観劇日
2020/12/5 マチネ

2020/12/11 ソワレ

 

◯感想(ネタバレ有り)
11月に7作品の無料配信があったパラドックス定数。月末11/28(!)に突然その存在を知り、慌てて全作品を観ました。
実際の事件や事故をモチーフにしながらもフィクションとして描き切る脚本や、鬼のように重厚な演技をなさる俳優さん達。登場人物に寄り添う音楽はなく、しんとした舞台の上に台詞や足音で描き出される激情達……
すごいものを観てしまった〜〜!という感情を抱えきれなくなっていたところ、ほんの数日後に次回公演があると知ってチケットを取りました。
行ってみると整理番号が若く、なんと最前列!なんとも贅沢だったなぁ……


*****
舞台装置はシンプル。
下手側に酒や食べ物の乗ったテーブルがあり、中央と上手側に二つのソファ。それからその部屋をぐるっと囲むように置かれた桟橋のような台。

幕が上がると舞台はヨーロッパのどこか、学生寮で馬鹿騒ぎをする芸術家の卵たち。
詩人/劇作家、映画監督、画家、という組み合わせを見て、あ、これはガルシア・ロルカのお話なんじゃないか、と気付き始めました。

(Das Orchesterなどを観て、野木さんが固有名詞をはっきり出さないで作品を作られるということは知っていたのですが、目の前の舞台に大人しく揺られてみようと思ってあらかじめ何も調べずに観に行きました。台詞の欠片からどんどん頭の中でピースが当てはまっていくような感覚は面白かったなぁ)

ロルカの親友ということは自動的に映画監督の彼はブニュエル、画家の彼はダリ。
ということは結末は分かっているようなもので、つまりロルカが若くして銃殺される未来です。
もうこの時点でいかにも仲の良い親友同士のように馬鹿騒ぎをする三人の姿が眩しくて愛おしくて、泣きそうになってしまう……

パニックを起こしがちな画家の彼、見栄っ張りだが気の良さそうな映画監督の彼、二人に比べて慎重派で落ち着いてみえる詩人の彼。
落ち着いてみえると言ったって、詩人の彼は冒頭から往来にゲロ爆弾を放っていましたが笑
私は下手側最前に座っていたので、三人が外を歩く人にいちゃもんつけるシーンは自分が喧嘩を売られているようでどきどきしました。ご褒美だったなぁ!

続いて、三人の元に訪れる有名な画家先生と学者先生。
台詞が特徴的なのでこの二人もモデルはわかりやすかったです。前者はピカソ、後者はアインシュタイン
え〜〜〜!?なんて豪華な邂逅なんだ!?この学生寮、すごいぞ!

画家先生と学者先生は久しぶりに会った友人同士で、共通点は二人とも雑音が嫌いなこと
目立ちたがりの画家先生と、ただいるだけで目立つ学者先生の凸凹コンビ感が可愛かったな。

学生三人と大人二人、二組の友人達が出会うことで、奇跡か悪夢かストーリーは動いていきます。


*****
前半で特に好きなのが、学者先生が皆既日食のお話をするシーン。
子供のように夢中になって説明する先生に引っ張られ、同じく夢中で太陽を、月を、地球を演じる学生の三人。
あそこに流れる空気はキラキラ眩しくて、若さや青春や希望のようなものを感じました。
その後三人の人生は少しずつ違う方向へ向き、特に詩人の彼ともう二人の間には決定的な差が生まれてしまうけれど、ほんの数年の間に培った友情は夢でも(ましては悪夢でも)ないのだということが最後まで希望のように残ったな。

他のシーンでも、三人の若者がじゃれあっている姿が本当に良い。
特に友人にすぐ飛びついてしまう画家の彼が可愛くて可愛くて、そんな彼を軽々といなす詩人の彼にもきゅんと来ました。というか詩人の彼、体幹が強い!「ナイフを持っているぞ」と脅す映画監督の彼をソファに投げ飛ばす所も良かったな〜〜!

 

*****
それから、ちょうど目の前に座っているシーンが多かったので、私は学者先生のことをよく見ていました。
ニューヨークに呼ばれているという話を画家先生にする時の苦悩に満ちた表情や「亡命だぞ!?」と荒げる声が忘れられない。
私の席からは表情がよく見えなかったけれど、彼を呼び戻しに全力疾走してくれる友人の画家先生は、彼の話を聞いてどんな顔をしていたんだろう。

特に印象に残っている会話がもう一つ。
「絵を描いている時は全てが見えるんだ」と(おそらく)キュビズムの話をする画家先生に、「未来は見えるか」と訊く学者先生。
見えない、と答えがあった後の学者先生の絶望するような表情や沈黙が痛くて、息をのみました。
学生寮の屋根の上で芸術の話をする二人の世界、それが閉じられた世界であったらどれほど美しいかと観客の私は思ってしまうのだけれど、国を覆う黒い影はもう二人に迫っていて、部屋の中の詩人の彼のにもそれは同様で。逃れられない大きなうねりが彼らの人生を動かしていきます。

「君たちの国は本当に明るい」という学者先生の台詞が大好きです。
太陽の沈まぬ国という言葉もあるけれど、確かにスペインは本当に明るい。特に夏は冗談かと思うほど遅い時間まで日が沈まないんですよね。
私は学生の頃一年ほどサラマンカにいたことがありますが、あそこではいつも広場に沢山の人が集まって酒やコーヒーを飲んでいて、日が暮れた後もディスコの外に若者が溢れている。どちらかと言えば根暗の私は「もう勘弁してくれよ〜」と思ってしまうほど明るいところでした。

でもどんな場所でもそうであるように、今の明るい姿の前には積み重なった歴史がある。
そしてこの肌感覚はあまり間違っていないと思うのだけれど、スペイン内戦はあの国の人たちにとって「遠い昔の悲劇」ではない。今と地続きの痛みなのだと思います。サラマンカもスペイン内戦においてフランコ側の重要な拠点でした。
現地の先生は私に映画『Las Trece Rosas』や小説『La Sombra del viento(風の影)』を勧めてくださったなぁなんてことも思い出しつつ。

五人が芸術(と研究)に邁進する間にも情勢は日に日に変わっていきます。
もう「本当に明るい国」ではなくなっていくスペイン。

画家先生の拠点はパリのままになり、学者先生は嫌々ながらもアメリカに亡命。
詩人の彼の原稿には役人による赤い修正が入れられ、検閲は弾圧に変わり、彼には「黒い山、黒い木々」や「自由を吹き消す炎」、やがては「死」しか見えなくなります。
そして映画を共同制作するという映画監督の彼と画家の彼に詩人の彼は「拠点をパリに移せ」と告げ、とうとう自分だけが「自由に作品を作るために」国へ残る……


*****
結局、この選択が命運を分け、詩人の彼は殺されます。
映画監督の彼が入学時を回顧する白昼夢のシーンは、完全に彼の「希望」であり、叶わなかった未来であり。
戦争がなければきっと詩人の彼も若い才能を昇華させて芸術を続けられていたのだろうと思うと、無常感で胸が詰まりました。
詩人の彼のことを「愚かな死に方をした」と言う画家の彼のやりきれなさや、部屋になかなか足を踏み入れることのできない映画監督の彼の悲しみ。画家を演じる小野さんと映画監督を演じる井内さんの表情がそれぞれに迫ってきて、泣きそうになりました。

一方、画家先生は「黒と白と灰色で描かれた傑作」を作成し、学者先生に見てほしいと告げます。
ゲルニカ
今まで登場人物の名や作品に固有名詞が使われてこなかったように、ゲルニカもまた台詞では出てきません。それでもはっきりと分かる脚本は流石に見事だなぁと思いつつ。
ドイツ生まれの自分に見る権利などないのではないか、という学者先生の台詞に虚しさを感じずにはいられませんでした。
個人では到底逆らえない大きなうねりの中であっても、どこかに自分の所属する立ち位置があって、加害被害や痛みや罪悪感があって。
どこまでも戦争の話です。

今まで舞台上は「ソファや机のある内側」と「台の置かれた外側」で場面が分かれていましたが、最後のシーンだけは画家先生と学者先生の語らう部屋と、画家の彼・映画監督の彼が訪れた学生寮の部屋とが交錯しているのが印象的でした。
きっとそこには似た悲しみが流れていたんだろうと思います。

 

*****
『プライベート・ジョーク』を反芻しようとすると真っ先に思い出すのは冒頭の楽しそうな学生三人の姿で、豊かでキラキラしていて根拠のない明るい未来への予感に満ち溢れていた学生寮の一室。
あの日々が確かにあったということ、夢などではないということが希望だと思いたいな、というのが一番の感想です。


全然まとまらないけれど、やっぱり面白かったな。
次の公演も観に行きたいです。

 

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(12/6追記)

如何せんある環境(社会)に置かれた人間のお話が好きなので外側についての感想しか書いていなかったな、と思い、少し内側について、「プライベート」についての感想も追加。

 

モデルの5人は皆偉大な人物だけれど、彼らの間にそのようなことは関係ない。

それぞれがそれぞれに信頼や嫉妬を抱き、理想の姿なんかを押し付けたり、その像を裏切られたりして時が過ぎていく。

 

大人達に無責任にちょっかいを出されていたように感じた言葉が時を経て理解できるようになったり、それがまた哀しかったり。

 

過去と未来が入り混じりながらじわじわと関係の変化していく会話劇は見事で、とにかく目と耳が足りない……!となりました。

 

だって、配信と違って生身の人間はとにかく情報量が多い。

五人全員の顔や身体を一度に見ることができないことが悔しくて、アアアアアア〜〜〜これぞ演劇の醍醐味〜〜〜!と悶える羽目になりました。

 

学者先生と画家先生の屋根上での会話と、詩人の彼の言葉が交錯するシーンは、目どころか耳も足りなくて。

戯曲が売っていることを知らずに帰ってしまったので、早く知って買いたかった〜〜〜!と悔やんでいます。彼らの紡いだ言葉をゆっくり咀嚼したかった……

 

マクロとミクロと言えばいいんでしょうか。

大きな社会の波に流される中でも、同じ時を過ごした友人達の間にはそれぞれの矢印が濃く存在したこと、部屋の中で交わされたプライベートなジョークは彼らだけのものであること、それが愛しいな〜と思いました。

 

やっぱり好きだな〜〜!

 

 

 

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(12/11 追記)

仕事を無理矢理倒してスケジュールを確保し、2回目を観てきました。

今回は外部サイトのもぎりチケットではなく劇団の紙チケット。かわいくて手に入れられたのが嬉しい〜〜。

 

今回観ていて刺さったのが、繰り返される「こわい」という表現。

先日はとにかく観劇中も帰ってからも感情が「ロルカ……」に支配されていたので、その辺りをびっくりするほど取りこぼしていました。本当にびっくりするほど記憶がない……!


(このブログではちょっとしたこだわりで今までは詩人の彼とか呼んでいたのですが、もうロルカと呼んでしまったので、以降は開き直ってモデルの名前で呼びます)

 

こわい。芸術家の怖さ。そっかそうだよなずっと芸術家の話をしていたんだよな、と改めて噛み締めるなど。


私は11月の7作品配信でパラドックス定数と野木さんを知ったので観た作品は当然多くないのですが、多くの作品に共通するのが実際の事件や事故をモチーフにしていること。


現実の人間の痛みの上に成り立つ虚構を、フィクションとして、娯楽として楽しむことに、観る側としてもどうしても距離を測りかねるような感覚があります。


でもそれは私なんかより作り手の方が何倍も何倍も真摯に向き合っているはずの罪悪感や恐ろしさだと思うのです。


プライベート・ジョークという舞台の上で芸術と向き合っていた彼らもその怖さと対峙し向き合い抱えていたんだなということにぐっときました。


暗い下手側で項垂れるロルカと、彼を遠いところから見るダリ、ブニュエル。俺らこわいよな、残酷だよなと自覚しながらも彼らはずっとロルカを見ているんだと、一人にはさせないんだと思うとマスクの内側がしょっぱくなってしまい、限界でした。

それでもロルカは一人で死ぬ。もう遅すぎたし遠すぎたのだということが哀しくて感情がぐわぁぁぁぁぁとなってしまった(語彙)ので、この辺りは記憶が鮮明なうちに台本を読み返します。

 

すごいな。芸術家を描く芸術作品の構造的な面白さというか、どこに現実があるのか分からなくなる感じがとても好きだと思いました。好きだな〜〜。

 


あと、どんどん暗い布に覆われていくような作品だからこそ眩しく思える前半がやっぱり私は大好きで、泣き笑いのような気持ちで観ていました。


ロルカ、ダリのことめっちゃ大好きだな〜〜〜!自分達以外にいじめられていると思うと頭に血が上るほどに過保護で、パリに行かせるのも不安で、過保護で。

もちろん三人それぞれの絆がしっかり固く結ばれているのが分かるのだけれども、私はやっぱり今作のダリに対するロルカがたまらなかったです。


ラストシーンが終わり、暗転から明転、板の上のキャスト陣が正面を向く間にロルカ役の植村さんがやってきて、五人揃ってのカーテンコール。

その時既に芝居は幕を下ろしているのに、大人二人が上手側、(かつての)学生三人が下手側に別れてはけていくのがなんだかまた意味深に思えて勝手に色々考えてしまう。

後説が終わって席を立つ際には足が小さくガクガクしてしまって、本当にたまらないなぁと思いました。

プライベート・ジョーク、良かったなぁ!

 


そしてパラドックス定数の魅力にすっかり取り憑かれたので販売していた8冊の台本全て買いました。やったね。

 

 

 

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おまけ。

ネタバレを恐れて鍵垢で一人千本ノックをしていた限界ツイートをいくつか貼り付けておきます。いつかの自分のために。

 


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同じ青春を過ごした三人の中で、たった一つ選択を分けたことが大きな分かれ道になってしまう哀しみ。

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ダリはロルカのことを「愚かな死に方をした」「呪われてはいけない」(ニュアンスしか覚えていない)と言う。

ロルカは死んだが、ダリとブニュエルの人生は終わらない。既に彼らの間には大きすぎる川が横たわっている。

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スペイン語で詩はpoema、死はmuerte。日本語のように詩と死でかけるのは厳しいと思うんだけどどう解釈すればいいのかな〜〜っていうのはちょっとノイズ的に考えてしまった。

でもまあ演劇の力ってことで飲み込むんだろうな。引っ掛かりはしたけど、台詞自体は大好き。

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身内の戯れは有ったんだよ。たとえ外側の大きなうねりに流される事になっても、内側の心で決めた選択が引き金を引く事になっても、あの学生寮で過ごした、才能と光に満ちた日々があったという事実/記憶/過去だけは消えない。外側に何があろうと、彼らの日々は有ったんだ……

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人は見たいものを見る。見たい角度から物を見て、こう有って欲しいと思う理想を人に見る。

見たいものを押し付けるからすれ違いも反発も生まれるけれど、それでも手を繋ごうともがくんだよな、それが愛おしいなと思う。